こんにちは。
育児の最終目標とは何か?なぜ我々は自分のお金や時間を犠牲にして育児をするのか?つきつめていうと、人生とは?なぜ人間は生きる?どうなるのが人生の目標?と言ったことにつながっていく問題かと思います。
私は医師ですが、小学校受験・中学受験・大学受験・医師免許の試験などを乗り越えていく中で、親からの大きな期待があり、親の献身的な世話と、多大なお金をかけられてきました。「自分の力を最大限に発揮して素敵な子になってほしい」というようなふわっとした考えではどうにもならない、「不合格なら生きている価値はない」というようなところまで追い込まれました。親としてはもちろん、私が試験に合格しようがするまいが、生きているだけで愛してくれていたと思いますが、子供の身としては、落ちたら生きている価値はない、死ぬしかないというところもありました。
その後、医師として働き始めると、そういう考え方では社会は成り立たないと言うことが分かってきます。医師とは何かというと、今まで自分が見下してきた、出来の悪い人間・頭の悪い人間・試験があれば落ちるだろう人間・生産性の悪い人間に対しても、患者として自分の前に来れば、ひざまづき、力を尽くして、自分の身を削って治療する必要がある仕事です。感謝されるばかりではありません。血や汚物を浴びることもありますし、患者から訴えられることもある。「自分は誰よりも勉強ができる、価値のある人間だ」というような考えでは、医師は務まらないのです。そういう中で、私の中の、「できる人間にしか意味がない」という考え方は少しずつなくなっていかざるをえませんでした。周りを見渡してみれば、どの仕事もそうです。自分よりできない人のために身をささげて働くことでお金をもらえるのです。
どの人も、病気やケガや災害などで、いつ弱者になるか分からない。どのような人にも価値がある。優れているから良い、優れていなければ生きていてはいけない、では文明的な社会とは言えないのです。単なる弱肉強食のジャングルになってしまいます。ただ今の社会は、どうしてもお金を稼げる人が偉い、賢い人が偉い、美しい人が偉い、それ以外の人は黙って踏みつけられろというふうになってしまう面があります。そこで、少しでも幼い時から、多くのものを詰め込まなければ生きていられないという切迫感が産まれると思います。社会のいろんなことが、相談者様を追い詰めているのだと思います。
私自身も、自分の子供を育てる中で、優秀でない子供なら苦労するだけなのでは・・・という気持ちが生まれ、少しでも早くからいろんなことをできるようにしたいという焦る気持ちがわいてくることがあります。
受験や勝負となると、どうしても勝ったか負けたかと言うことにこだわってしまいます。しかし勝ち続けられる人生はありません。勝っても負けても、そこに向けて頑張ったことに意味がある、と考えないと、最終的に人生で勝ち続けてどうなるの?どこで満足するの?次の勝負、次の勝負と追い続けて、足元に咲いている花を見ない人生でいいの?ということになってきます。
相談者様も、人生が3歳だか4歳だかで決まるわけではないことは頭では分かっておられると思います。幼稚園に入れなければ終わりでもないし、幼稚園に入りさえすれば勝ちではない。幼稚園側が要求する子供というのは、優れた子であるとは限りません。優れすぎているいわゆる天才肌の子や、独特の感性を持った芸術家肌の子は、かえって指導が難しく敬遠される幼稚園もあるかもしれません。幼稚園が欲しがる子供というのは、要するに親に学費を払えるだけのお金があり、親が常識人で家庭環境が安定していそうで、幼稚園に文句を言わなさそうで、集団生活に向いている子が選ばれるだけであって、幼稚園合格しなければ育児が失敗というようなことはないです。ここから10年以上、自立するまで親は待ち続けなければならない。待つ、耐えるということは難しいので、何とか3年目の受験で、分かりやすい成果を手に入れてみたくなりますが、少し視点を大きく持って頂ければと思います。
失敗したときに母親に拒絶されるということは、子供にとって大きなダメージになると思いますし、喜びすぎるのもまた、自分の興味があるからやるではなく親の顔色ばかり見る子になるかもしれません。子供の人生は子供のもの、親の思う通りにならないし、思う通りにすべきではない、親は子供の人生の全てに責任を持てない、ということを意識する必要があると思います。受験塾の先生はこういった問題にもくわしいと思いますので、ご相談され、失敗したとき・うまくいったとき両方の親の態度や気持ちの保ち方について、試験までに考えて置かれてもいいかもしれません。親に余裕があること、子供に入れ込みすぎないことは、幼稚園側から選ばれる親になるためにも必要と思います。