こんにちは。
私も母や義母に子供がなつくのを見るとイライラし悲しくもなりますのでお気持ちはよく分かります。しかし子供が誰になつくかということでがっかりするのは考えすぎというか視点が狭くなっていると思います。しかも子供の親である父親と張り合っても仕方がないと思います。育児の負担、妊娠出産の負担は母親が多く担っているわけですが、子供にとっては「ママのほうに負担をかけているからママにちょっと愛想よくしよう」などということは無理です。逆に「ママ以外では泣き喚くので私が24時間拘束されしんどくてたまらない、保育園に行くにも毎日毎日泣きまくる」と言って悩んでおられる方もおられます。
もし相談者様がいなくなったらどうなるでしょうか?家事育児だけではなく、予防接種とか次のシーズンの衣服・靴などの準備とか保育園とのやりとりとか、いろんな面のいろんなことがうまくいかなくなっていき、生活が(少なくともしばらくは)めちゃくちゃになるでしょう。お子さんが快適に健やかに生きていくために必要なことすべてを支えること、これが育児だと思います。直接抱っこをするかしないか、寝かしつけを誰がするか、母乳を直接与えるか、料理が手作りか、など細かいことはどっちでもいいことです。料理は買ってきたものでもいい、買うお金を稼いでお金を準備して買う算段をしたのは誰かということです。
ちょっと表現が自分でも分かりにくいなと思いますが、要するに直接子供に触れることだけが育児ではないということです。旦那さんが子供を抱っこするならその間に家事をしたり旦那さんがすべきことをすること、旦那さんが明日仕事に行く服を用意すること、全部が育児でありなくてはならないことなんです。
子供がだれになついている(ように見える)かということは表面的なことというか、子供の気まぐれに大人がまともに付き合ってはいけないと思います。例えば子供が甘いお菓子ばかり欲しがるからその通りにするのが愛情か?甘いお菓子とジュースばかり与えて子供を笑わせるけど最終的に虫歯にする大人と、子供に泣かれようと必要な栄養がそろった食事を用意する大人のどちらが本当に親か?と思います。「この子には私は必要ないんだ」とすねることは大人げないと思います。
親は子供に、自分に向かって笑ってほしいとか、この月齢でできることを順調にできてほしいとか、直接的で分かりやすい反応を期待しますが、子供は生き物であり、こちらの期待通りの反応を期待通りのタイミングで返すとは限りません。
反抗期の子供に、死ねババアとか言われても、それでも子供に愛情を与えなければならないのが親です。子供に求めてはいけないと思います。産んだのはこちらの都合であり、こちらの価値観だからです。こうなってほしいと思うのはいいですが、その通りでなくても、愛していると示しつづけるということのなかで、親である自分も育っていくということだと思います。
要するに相談者様は十分よくやっておられるし、父親と張り合って落ち込む必要は全くない。愛着は十分形成されている。今後も子供に期待しすぎず、淡々とやるべきことをやりましょう、ということをお伝えしたいです。