こんにちは。
私は今、9歳と7歳の子供がいます。そして多くの、子供を持つ親御さん、様々な年齢の方々(子供が中高生、大学生、そしてもうとっくに成人した子を持つような、様々な年代の育児の大先輩たち)とも、日々接させて頂いています。
その経験から言わせて頂くと、
「どうしたら他の赤ちゃんと比べずに心に余裕が持てるようになるのでしょうか?我が子の成長を信じて待つことができるのでしょうか?」
という質問に対しては、
「無理です。まあある程度、さんざん悩んで乗り越えていくと、『子供って、思ったより親の思う通りにはならないんだな。もういいわ、なるようになれ、なるようにしかならないわ。もう知ーらない!』とある程度吹っ切れるときは来る。でも、進学、就職、結婚、どこに住むか、介護をしてくれるかなど、どこまでいっても、他と比べてつらい時はある」
ということになります。
思い返してみますと、私の一人目の子も、乳幼児期の発達がことごとく遅く、相談者様と全く同じように感じていました。上の子は、ゼロ~4歳のころの発達(首すわり、お座り、ハイハイ、発語、指差し、トイレトレーニングなど)がことごとく遅く、乳幼児健診は毎回毎回、「うーんちょっと気になるので来月も来てくださいね」で再検査でした。健診に行くと絵本をくれるのですが、毎月毎月通いすぎて絵本を全種類コンプリートしました。毎月毎月、他の子と比べられているようで、恥をかきにいくようで、泣きながら帰っていました。泣きながら徘徊したり、虐待相談ダイヤルに泣きながら電話したりして、自治体の保健師さんにも、児童相談所の担当員さんにも、たくさん助けて頂きました。知識があるはずの医師でも自分の育児となるとこんなものです。
下の子の時も、生後すぐに、体のある部分の問題が、奇形ではないかと気になってたまらず、医師の頭で冷静になれば大丈夫だと思うのに、どうしても不安で胸がかきむしられるようで、悪い想像が止められず、いてもたってもいられず、泣きながらいくつもの小児科を回ったこともありました。
上の子の1歳半健診の前には、指差しができないというのが気になり、きょとんとする子に、犬とバナナのカードを見せて、「ワンワンどっち?バナナどっち?」とやりまくりました。積み木が3つ積めないからもうこの子はダメだ、と不安が止まらなかったのを覚えています。先輩ママに、「そんなことちょっとできるのが遅くたって大丈夫だよ」と言われても、今できなくてどうするの!?という思いが止められませんでした。「自分の子がこれができないのは、私が妊娠中にこれをしたから??」とかも、考えても意味ないと分かっているのですが、考えてしまいます。
自分が何かちゃんと対応したら、まともに育ったのに、自分が失敗したせいでこの子の一生に影響したら・・・と不安でたまりませんでした。本当に、誰か完璧なママさんに、月いくらでも払うから、ちゃんとこの子を育ててくれ!もう私には無理!と思ったことが何度もあります。
そして私の夫も、母も、相談者様と同じような感じで、焦っている私をよそにのんびりしていました。「この子は賢い良い子だよ、こんなにニコニコしてる、大丈夫だよ」と言い続けていました。
結果として、私が乳幼児期に悩んでいたことは、小学校に入るころにはみんな問題なくなっていました。
しかし、また成長が次のステージにうつったらうつったで、新たな問題、新たな心配事が出てくるわけです。小学校に行けるかな?お勉強できるかな?いじめられないかな、いじめないかな??雨の日には自分で帰って来られるかな、風邪を引いたら、熱が出たら、このまま治らないのじゃないか??もうきりがありません。
学校に行けば、残酷にもテストの点がつけられます。どうしても比べられるのです。
中学になったら、高校になったら、大学になったら、就職したら、結婚したら・・・人生の落とし穴はどこにでもありあすぎて、本当に、もう気が遠くなります。
ご高齢の患者さんで、ご自身は80代とか90代とかで、子供さんが60代とか70代とかになっていても、まだ、親は子供のことを心配していますし、「私の姉は、子供たちに囲まれて世話してもらっているけど、うちは・・・」などとおっしゃる方は珍しくないです。
母親というのは、心配するものなのです。赤ちゃんは泣くものだ、それと同じです。もう、母親というのはそういう生き物なのです。愛しているから、大切だから、心配なのです。それが母親の愛なのです。
1980年代に書かれた育児書を読んだことがありますが、全く同じように、あれこれ心配して、しょっちゅう小児科などに駆け込む母親の姿が書かれています。いつの時代も変わらないのです。
そして、他の子と比べてしまうのも当然です。我々は、商品を選ぶときなど、比較することでどれが良いのか選ぶことを何万回も繰り返していますし、自分自身も、点数を付けられ、就職でも恋人選びでもなんでも、比べられて選ばれてきたのですから、そういう価値観がこびりついているのです。子供が複数いたら、どうしても子供同士比べてしまいますし、「私が子供のころはもっとできたのに」などと、自分の子供時代と比べてしまうことも、もう仕方がないことです。
でも、「成長の早いあの子と、あなたの子、取り換えてあげましょうか?」と言われても、それは嫌だと思います。愛着があるからです。
親になるというのは、自分の命を投げ出してでも守りたい大切なものを得て、それに振り回されて、時間もお金も何もかも捧げて必死で育てて、あれこれ心配して、そして最終的には自分の言うことを聞かなくなり、自分を追い越していって、手放して、社会に、世界にお返しするという、壮大な修行だと思います。
修行ですから、つらいです。でも、その過程で人間として成長しますし、「つらいでしょ、だったらあなたの子と出会えない人生に切り替えましょうか?」と言われても、嫌だと思います。
もし私がもう一人子供を持ったら・・・3人目ですから、もう少し余裕があると思いますが、それでもやっぱり心配すると思います。
もうそういうものなのです。そうして心配していく中で、鍛えられていき、次の成長段階で襲い掛かってくる問題に立ち向かう、母としての力が付いていきます。調べて、悩んで、人に頼って、もがいて、「あんなに悩んでたけど何か月後にはあっさり解決したなあ」とか、「解決はしなかったけど、まあ代わりにこうすればいいや」とか、いろんな経験を積んで、それが思い出にもなりますし、将来、「あなたはこんな赤ちゃんで、お母さんは心配したのよ、でも今はこんなに成長したね」とお子さんに言うことで、お子さんが、自分は本当に愛されてきたのだなという自信につながっていくと思います。
かつて、赤ちゃんを育てていたころの私は、「今この問題を克服しても、次から次へと心配が襲ってくる、自分には親になるなんて無理だったんだ」と思っていました。育児がかなり楽になった今でも、「もう無理、あと何年育てたら親としての責任を果たしたことになるの?あーしんどい、もうどうすればいいの?!」と思っています。しかし、ほどほどに手を抜くことも覚え、「まあ子供なんて自然現象と同じで、なるようにしかならんわー」というあきらめも持てるようになりました。一緒に修行していきましょう。